Photo_A of Japan J-Dance Association

次回で30回目を迎えるJダンスフェスティバル  国内でも最も長く続いているダンスフェスティバルの一つです。

25回記念公演は 源氏物語をモチーフに面白可笑しく 世相を反映させつつ 渡辺タカシ先生の演出で合同作品を上演しました。

Jazz Dance からJ-Danceへ 

1970年代の後半、突如登場したビートニックで、激しく、ノリの良いダンスが日本中を席巻した。「ジャズダンス」とネーミングされたそのダンスは時代の先端を突っ走るカッコいいフィジカルカルチャーとしてすばやく受け入れられ、数年のうちに広く浸透し、スタジオは人で群れた。80年代、隆盛を極める。
関西にあって、いちはやくその隆盛に乗り、このトレンディなダンスを創作の手法に、ダンススタジオのニューフェースとして、あるいは文化教室の教授科目に取り入れた人々がいた。先駆的な彼らは一堂に会し、協会を創設し、その発展的、記念的、継続的イベントとして舞踊祭・ジャズダンスフェスティバルを開催することを計った。1982年春、JJA第一回ジャズダンスフェスティバルが、勇躍、敢行された。
かくしてJJA(ジャパンジャズダンスアソシエーション)が誕生し、斯界のリーダーシップを握る。JJAはなによりも観客動員に力を注いだ。様々な試行錯誤を繰り返し、迷走を重ねつつ、現在に至る。2007年には25回目の記念フェスティバルを打ち上げ、設立25周年を祝った。(25回を平均すれば、一回のフェスティバルの出演者数は170名、観客動員数は約2500名である)
「Jazz Dance・ジャズダンス」は時代の趨勢に従って変異してきている。それは当然であろう。ファッション性、先進性、同時代性を標榜して登場したコンテンポラリーなダンスである。時代の表層が変化すれば、それに従って様相を変える。ジャズダンス自体の細胞分裂が起こり、多様化へ推進した。その変容はspecialization=分化・特化へとリークし、個性化が進行する。具体的には、様々なスタイルのジャズダンスが登場し、それに拠った振付師、ダンサー、ダンスカンパニー、ダンススタジオが独自の色彩の旗をはためかせ始めたのであった。
個性化し、特化したダンスは既にジャズダンスの呼称で充分とは言えなくなってきている。ルーツを共有し、発展のプロセスで密接したが、もはやそれもはるかに過ぎた。アート・創造性、エンターテイメント・娯楽性、フィジカルコンディショニング・体操性などの方向が確立され、それぞれがさらに進化を続けている。そこでJ-Dance(ジェイダンス)なる新たな造語が生まれた。そういえばJはJoyのJでもある。そしてJ-Danceの呼称を提唱し、それを掲げて展開することになった。すなわち
Japan J-Dance Association=ジャパンジェイダンスアソシエション
JJA J-Dance Festival=ジェイジェイエージェイダンスフェスティバル

もとより、この呼称も可変的である。バレエ、モダンダンス、フラメンコなどなどのように恒久性はない。いつかまた発展的に変容するだろう。ジャズダンスはそういう宿命の星に生まれついているのだ。名称は変わろうとも「Jazz Dance・ジャズダンス」は人類の崇高な所産「ダンス」のひとつの分野であり、ダンスそのものであることは不変なのである。

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総勢300名による迫力のフィナーレ  劇場が揺れる!

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